第二話 〜Little Blead,Vast happiness〜

 

 

ごっ、と鈍い音が辺りに響き渡り、それから続けてどさっ、と何かが倒れる音がした。

その音が断続的に、時々別の木材音や金物音などを交えながら鳴り響いた。

人間の、骨肉と骨肉がぶつかり合う音。

聞いていてあまりいいもんじゃないと思う。まぁそれを発している一員は、何を隠そう俺自身なのだが。

「誰を相手にしてると思ってんだよ、馬鹿野郎。」

俺は足元を見下した。血を流し地に倒れる男数名。動かない。でも殺しては無いさ。ちょっと痛めつけてやっただけだ。

「う………っ」

その呻き声は殴られた痛みからか、それとも返り討ちにされた悔しさからか。

俺を恨むんじゃねぇぞ。俺はただ売られた喧嘩を親切に買ってやっただけだ。

下らない時間を割いてしまった。もうすぐ講義が始まるというのに。

そもそも俺は、ただ大学に向かって歩いていただけだったのだ。こいつらに突然喧嘩を売られる筋合いなど毛頭無い。

まぁでも仕方ない。親友はここらじゃ相当名の知れた悪(わる)だった。

『喧嘩屋・熊本薫』の名を知らない不良はまず居なかっただろう。

親友健在の時分はよくあいつと一緒にいたし、あいつの喧嘩に巻き込まれたことも多々あった。

まぁ喧嘩慣れして強くはなれたけど、お陰で俺は一人残された後も道を普通に歩いているだけで度々喧嘩を売られているわけだ。

あいつも面倒臭い遺産を残してくれたもんだ。

 

雑魚不良を軽くあしらって、俺は大学の講義室にやって来た。この講義は様々な学部から受講者が集まり、かなり広い部屋で大人数で行われる。

普段は学部が違ってなかなか会えない奏とも、こういう時間には会えるのだ。

しかし、そこには肝心の奏の姿が無かった。いつも来るのは早い奴なのに、珍しいなと俺が首を傾げると、

「………おい、池田。」

不意に話しかけられた。普段誰からか話しかけられる機会が少ないせいか、突然の人間の声にかなり驚いて反応した。

「……………何だよ?」

見たことはあるような顔だったが、名前は全く思い出せない。

恐らくは同じ学部なのだろうが、俺は同じ学部の人間とすらまともに付き合っていないので仕方が無い。

そいつはそんな俺の訝しげな表情など気にも留めずに(いつもこんな顔してるからな)、話を続けた。

「あ、あのさ…今日は御前(みさき)さんが来てないみたいだから、どうしたのかなって思って………。

池田はよく一緒にいるみたいだから、何かしらねぇかなって思ったんだ。」

御前?―――あぁ、奏のことか。

何でこいつ、奏のことなんか気にしてんだ?まぁ確かにあいつは美人で有名だし、せいぜいこいつも一ファンってとこか?

「さぁ。何も聞いてねぇよ。」

気だるそうに答えた。実際、気だるかったからだか。

「そうか。ありがとう。」

クラスメートと思しき男は、俺が何も知らないと分かると、礼だけ述べてさっさと行ってしまった。

俺にあまり必要以上に関わりたくないのが良く分かった。俺にとってもそっちの方が好都合だが。

 

それにしても、何で奏のやつは学校に来ないのだろう。

 

その日一日、奏が姿を現すことはなかった。

 

マンションの自室に戻ってから、俺は今更ながら携帯を手にした。

電話をかけたら出るかな?とか少しだけ考えてみた。

携帯なんて、普段使うことは滅多にないから無くても大して不便は無いだろうとは思っていたが、今初めて契約しておいて良かったと思えた。

実家以外に、たった一件だけ入力されているアドレス帳。

No.000 御前奏』

この携帯から誰かに電話をかけるのは初めてかもしれない。いつもは実家からかかってくる電話の着信専用だった。

当然、メールなんて打ったこともない。

コール音が無情に鳴り響く。何て機械的な音なんだろう。人間臭さに欠ける俺が言っても仕方がないが。

暫くコールしたが、奏は一向に電話に出る気配はない。そして、携帯電話会社の留守番サービスセンターとやらに繋がった。

「………奏?」

どうしたというのだろう。運転中だろうか。それとも本当に何処か体調を崩して、寝込んでいるのだろうか。

「後でもう一回かけ直してみるか。」

そうすることにして、俺は一旦携帯をテーブルに置いた。

 

夕飯をコンビニの惣菜で軽く済ませ、再び奏に電話をかけてみた。

受話器の向こうで、またもや無情に鳴り響くコール音。

―――奏は出ない。

はじめはおかしいと思っていたが、もしかしたら本当に何か重い風邪でも拗らせちまったのかも知れないと考え直し、

俺は携帯を切ってテーブルに置いたまま、次、手にすることはもうなかった。

本当に病気で寝込んでいるなら邪魔しない方がいいだろうと思ったんだ。

明日にはもう学校に来るだろう。その時にでも聞けばいい。

幸い、明日も全学部合同で行われる講義は入っていたから。

 

それから風呂に入ってシャワーで汗を軽く流すと、なんとなく気疲れした俺はそのまま布団に入って眠ってしまった。

 

その晩見た夢の中には、奏と、そして在りし日の親友の姿があった。

 

思えば一番幸せだった頃だ。とても懐かしい感覚だ。

もはや幸福も平和も願ってなどはいないが。人間は、一度諦めがついちまうと、墜ちて行くのも早いもんだ。

 

 

翌日。今日こそは奏に会えるだろうかと考えながら、俺は広い講義室に入った。

今日も奏は来ていない。本当に、一体どうしたと言うのだろう?

その日の授業も何事もなく過ぎていった。ただ、そこに奏の姿がないというだけだった。

 

一気にテンションが落ち(もともとそんなに高くもないが)、俺はそのまま午後の授業をサボって、昼下がりの道を一人帰宅した。

アスファルトに照りつけるじりじりとした太陽。奏と最後に会った日もこんな日だったような気がした。

そうだ、確かあれは二人で墓参りに行った日だ。俺の生涯一の親友・熊本薫の……………。

頭丁に照りつける太陽があまりに熱く頭が痛くなりそうだから、俺は日陰になっている裏路地へ回り込んだ。

いくら日差しが強いといっても、まだまだ春。広辺りの悪い場所に一旦入ってしまえば、そこには冷たい風が通るだけだ。

寧ろ心地良いくらいだった。人の通りは全く無い。一人になりたかったから丁度良い。

 

―――――そう、そこには俺だけしかいないと思っていたんだ。

 

しかし、実際はそうではなかったらしい。

「おい、そこのあんちゃんよぉ。」

不意に声をかけられた俺は、割にも合わず驚いた。口調で分かる。こいつ、悪(わる)だ。

「あぁ?お前はだ―――――――――――」

『誰だ』と問おうとして、俺の意識は急に、かつ次第に現実から遠のいた。

後頭部を思い切り鈍器のようなもので殴られたらしい。その場に倒れこみ、そして誰かに身体を乱暴に持ち上げられる感覚があった。

額や目を血が這い流れていくのが、遠のく意識の中で感じた。

 

「見つけました。確かに半年前のあいつとつるんでいた男です。」

その後、聡史を襲った男が電話で誰かと話している会話までは、聡史自身は気絶していて確認できなかった。

男はそのまま聡史を乱暴に担ぎ上げ、そのまま何処かへと姿を消した。


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